ガザ地区はイスラエルの占領下にある📍ポイント解説ガザ地区は、1967年の第3次中東戦争以来、イスラエルの占領下におかれています。 2005年に入植地とイスラエル軍がガザの内部から撤退したことをもって、「ガザ地区の占領は終わっている」という言説もあります。しかし、2007年からガザは完全封鎖(軍事封鎖)され、人間や物資が自由に出入りできないよう、イスラエル軍が厳しく制限しています。さらに、2023年までの16年間で、主要なものだけで4度の軍事攻撃がありました。軍隊がいないから「占領」ではない、イスラエル政府などによる主張は、ガザ地区の人々が軍事封鎖下で抑圧され支配されているという実態をごまかす、詭弁に過ぎません。✅ステップアップ解説ガザ地区、そして東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区は、国連で「パレスチナ被占領地(Occupied Palestinian Territory:OPT)」として定義されています。1967年のイスラエルによる占領以来、ガザ地区のパレスチナ人は様々な困難に直面してきました。(そもそも、ガザ地区の住民のうち7割以上は1948年のイスラエル建国の過程で難民となった人々とその子孫で、それ以前から故郷を追われ苦しい生活を強いられてきました。)1970〜80年代にかけて、イスラエルはパレスチナ人男性を安価な出稼ぎ労働者として使い、一方でガザ地区内の経済活動を厳しく制限することで、ガザ地区の産業が育たないようにし経済を弱体化させました。第一次インティファーダ(1987年〜)というパレスチナ人によるイスラエルの支配への抵抗運動を経て、イスラエルはパレスチナ人を安価な労働力として使う方針を変え、人間や物資の移動を制限し、パレスチナ人が生きていけないような状況を人為的に作り出すようになりました。占領下で脆弱になっていたガザの経済に、1990年代前半から、ガザ地区とイスラエルの境界線の閉鎖を始め、壊滅的な打撃を加えたのです。2005年には、ガザ地区内にあったイスラエルの入植地(約8000名のイスラエル人が住んでいました)が撤去され、それに伴いイスラエル軍が撤退しました。これをもって「ガザ地区の占領は終わっている」と主張する人もいますが、ガザ地区の状況は「占領からの解放」どころか、厳しい軍事封鎖により、人間らしい暮らしを送ることすら難しくなっていました。イスラエルは水や食糧、燃料、医薬品といった必需品も、最低限しかガザに入れないようにしていました。10.7以前から、住民の経済状態や健康状態はすでに極限状態に置かれていたのです。🔍深堀りホロコーストの生き残りである両親の間に生まれ、政治経済学者としてガザ地区を研究してきたユダヤ系アメリカ人のサラ・ロイ氏(ハーバード大学中東研究所上級研究員)は、ガザ地区が軍事封鎖後に置かれた状況について、以下のように説明しています。封鎖がまったくもって破壊的な影響を及ぼしたのは、ひとえに、パレスチナ経済が26年間[1967-93年]にわたりイスラエル経済に組み込まれ、地元経済がイスラエル経済に深く依存し、きわめて脆弱なものとなっていたためでした。その結果、1991年に[イスラエルとガザ地区との]境界線が初めて閉鎖され、その後1993年により恒久的な形で開鎖されると、自力で経済を支えることはもはや不可能になりました。そのための手立てなど何ひとつなかったからです。パレスチナははるか昔に、発展するために必要な力を奪われてしまっていたのでした。何十年にもわたって[土地や水などが]収奪され、経済が統合され、制度や組織が彼壊されたことで、持続可能な経済構造などどうやっても出現しえない、そしてそれゆえに持続可能な政治構造もまた出現しえない、そのような状況が作られてしまいました。(サラ・ロイ(著) 岡真理, 小田切拓, 早尾貴紀 (編集, 翻訳)『ホロコーストからガザへ: パレスチナの政治経済学』(青土社、2024年、P.62))具体的に、10.7以前のガザがいかに極限状態にあったかは、次の「10月7日以前に起きていたこと」の項をお読みください。主な参考文献・高橋和夫『なぜガザは戦場になるのか - イスラエルとパレスチナ 攻防の裏側』 (ワニブックス、2024年、P.133-136) ・猫塚義夫,清末愛砂「平和に生きる権利は国境を超える: パレスチナとアフガニスタンにかかわって」(あけび書房、2023年、P.119-127)・サラ・ロイ(著) 岡真理, 小田切拓, 早尾貴紀 (編集, 翻訳)『ホロコーストからガザへ: パレスチナの政治経済学』(青土社、2024年、P.62)10月7日以前に起きていたこと反開発「ガザ地区はイスラエルの占領下にある」の項でも触れた通り、ガザ地区は1967年からイスラエルの占領下にあります。その間、一貫して、ガザ地区ではイスラエルにより経済発展を根本的に阻害されてきました。サラ・ロイ氏は、このような状況を、「低開発(underdevelopment)」と区別して「反開発(de-development)」と表現しています。そもそも経済発展ができないように、人間や物資が制限され、頻繁に行われる軍事攻撃によりインフラが破壊され、技術や資材を持ち込むこともできず、産業が成り立たない状況に人為的に追い込まれていたのです。「パレスチナも経済発展して平和な国家建設を目指せばいいのに」といった批判を耳にしたことがありますが、これは現実を全く見ない、見当違いの考えといえます。以下では、いくつかの観点から、10月7日以前のガザがいかに「極限状態」であったのかを説明します。2007年の完全封鎖以降、人間や物資の移動の自由が極度に制限された結果、ガザの経済は悪化の一途をたどってきました。経済状況国連の調査によれば、2006年から2022年にかけて、ガザの実質GDPは37%縮小しました。 10.7直前の2023年第2四半期のデータによると、失業率は46.4%で、人口約220万人のうち、130万人が困窮状態に置かれていました。ガザでは人口の70%以上が、1日あたり1ドル以下という貧困ライン以下の生活を強いられています。こうした人々は「人道支援」に頼らざるを得ません。そしてそれは、ひとたびイスラエルの妨害や支援国の都合で人道支援が途絶えたり、縮小されたりすれば、容易に生死の危機にさらされることを意味します。以前はイチゴやカーネーションなどの特産品が、ヨーロッパなど向けに生産されていましたが、現在はほぼ輸出の道が閉ざされています。海上も封鎖され、漁師が狙撃されるため、漁業ができる海域が制限されており、海があるにもかかわらず十分な漁すらできない状況です。健康問題・栄養状態ガザでは多くの人々がUNRWAやWFP(世界食糧計画)などからの食糧援助に頼って暮らしています。安価に空腹を満たすことが優先されるため、パンや砂糖など、カロリーが高いものが中心の食生活となり、結果として肥満や糖尿病の患者が多くなります。一見太っていて十分に栄養がとれているように見えても、栄養状態が悪い人が多いのです。・水質汚染・土壌汚染ガザの唯一の発電所は、イスラエルによる度重なる攻撃、老朽化、イスラエルが必要な機材の搬入を認めないこと、燃料の不足などにより、稼働が十分にできません。結果、下水施設を稼働させることができなくなり、下水がそのまま海に流され、海水が汚染されました。下水設備がそもそも整っていないため、土壌にも汚染が広がり、地下水の9割以上が人間の消費に適していないと指摘されています。こうした汚染により、先天性の疾患・障害が増えているとも言われています。海水の汚染がイスラエル側にも広がったため、下水処理に関しては多少が改善されていましたが、10.7以降の攻撃で状況は悪化しています。電力供給が不安定なため、人々の生活や産業、医療にも悪影響が及ぼされてきました。・医療の状況ガザでは医療に必要な機材や医療品も不足していました。そのため癌などの高度な治療を必要とする患者は、ガザの外にある医療施設に行く必要があるにもかかわらず、イスラエルの許可を得るのに長期間を要したり、そもそも許可が降りないために、助けられる生命であるにもかかわらず死に追いやられるケースも報告されています。・自殺の増加市民団体ICHR(パレスチナ人権独立委員会)の調査によると、ガザ地区では自殺が増加していることがわかっています。イスラム教では自殺は禁じられているため、自殺者の家族も自殺を隠そうとするので、統計的なデータを把握することは困難ですが、ガザ地区のようにイスラム教の教えが根付いている社会での自殺の発生・増加は例外的な事態であり、抑圧された環境でどれだけガザの人々が未来に希望を持てず、精神的に追い込まれてきたかを示しています。 参考記事: This summer has revealed a sharp rise in suicides in Gaza(Mondoweiss, 2020年9月11日)2012年8月にはすでに、国連のレポート「Gaza in 2020: A liveable place?」で、ガザは2020年には居住不可能になると警鐘が鳴らされていました。「帰還の大行進(Great March of Return)」への攻撃2018年3月30日〜2019年にかけて、帰還の大行進(Great March of Return)と呼ばれる、ガザの封鎖解除とパレスチナ難民の祖国への帰還を求めるデモが、イスラエルとの境界にあるフェンス周辺で継続的に行われてきました。ナクバ/イスラエル建国から70年というタイミングで、アメリカが大使館をエルサレムに移設したことをきっかけに、現状に抗議するものでした。タイヤを燃やす・投石などの一部の例外を除けば、非暴力で平和的なデモ行進に対し、イスラエル軍は実弾での狙撃や催涙弾で応じ、多数の死傷者が出ました。イスラエル兵は、意図的に若者の足や下肢を狙います。バタフライ・ブレッドという、被弾すると脚を切断せざるを得なくなる武器を使用し、肢体を不自由にするためです。このような平和的なデモに、イスラエル軍が武力攻撃をしても、日本や欧米諸国ではほとんど報道もされません。イスラエル側が攻撃されると、「テロだ」「イスラエルには自衛権がある」と大々的に報道されるので、パレスチナ人は暴力的であるかのように印象づけられますが、イスラエルによるもっと苛烈な暴力は隠蔽されているだけです。このように、ガザ地区は10.7以前からすでに軍事封鎖により、人間が生きていくことが困難な(しかし、そこから自由に脱出することすらできない)極限状態に追い込まれていたのですいました。ハマースらの抵抗組織による10.7攻撃はこうした文脈の中で発生したのです。主な参考文献・臼杵 陽、鈴木 啓之 (著, 編)『パレスチナを知るための60章 (エリア・スタディーズ144)』(明石書店、2016年、P.275-279)・岡真理『ガザとは何か~パレスチナを知るための緊急講義』(大和書房、2023年、204p.)・鈴木 啓之 、児玉 恵美 (著,編)『パレスチナ/イスラエルの〈いま〉を知るための24章 (エリア・スタディーズ)』(明石書店、2024年、P.48-68)・猫塚義夫,清末愛砂『平和に生きる権利は国境を超える: パレスチナとアフガニスタンにかかわって』(あけび書房、2023年、P.119-127)・渡辺丘『パレスチナを生きる』(朝日新聞出版、2019年、P.52-54、P.70)以上