「憎しみの連鎖」「暴力の応酬」ではないパレスチナ・イスラエル問題を語る際、しばしば「憎しみの連鎖」「暴力の応酬」といった表現が使われますが、これらの言葉には、今起きていることの本質を見えにくくしてしまうという問題点があります。📍ポイント解説「憎しみの連鎖」「暴力の応酬」という言葉を使うと、「イスラエルがパレスチナ人全体に対して、75年以上にも渡り人権侵害を行い続けている」という問題の本質を見えにくくしてしまうことが大きな問題です。✅ステップアップ解説「憎しみの連鎖」「暴力の応酬」と聞くと「お互いにやられたらやり返しているんだ」「どちらも悪いんだ」という印象を受けるのではないでしょうか。しかし、このような表現は、イスラエルによる75年以上に渡る人権侵害により、パレスチナの人々が抑圧されているという構造を全く無視しています。 歴史的経緯やデータを見れば、パレスチナ・イスラエル問題において、圧倒的・構造的な暴力をふるっているのがイスラエルであることは一目瞭然です。 イスラエルが、パレスチナ人から土地や資源、生命、文化、尊厳を奪うために圧倒的な軍事力のもとで行っている暴力と、パレスチナ人が正当な抵抗の手段として暴力を行使すること(※)を同列に扱うこのような表現は、問題の本質である「イスラエルによるパレスチナ人全体への人権侵害」を見えにくくし、パレスチナ人の権利回復を遠のかせてしまう不適切な表現といえます。(※正当な抵抗の手段であったとしても、戦争犯罪に該当する行為については法的な処罰が必要なことは言うまでもありません。)🔍深堀り解説イスラエルは「シオニズム」と呼ばれる思想に基づいて、1948年5月14日に建国されました。この前後で、イスラエル政府となるシオニスト組織は、パレスチナに元々住んでいた先住のアラブ人(現在パレスチナ人と呼ばれる人々)への武装攻撃を始めました。建国に先立つ同年4月8日に起きた「ディル・ヤシーン村の虐殺」をはじめ、シオニスト武装組織による民間人虐殺がパレスチナ各地で発生しました。虐殺されなかった人々も、故郷を追われ難民となりました。その数はパレスチナ全土で70万人以上にのぼります。この出来事を、アラビア語で「ナクバ(大災厄、大惨事)」と呼びます。イスラエルは彼らの土地を勝手に没収し、代わりにヨーロッパ出身のユダヤ人がその土地を植民地化したのです。(建国後、中東やアフリカなどに住んでいたユダヤ人も移住してきました。)その後も、占領や違法な入植行為の継続により、パレスチナ人は土地や資源、そして生命を奪われ続けてきました。ナクバ以来、イスラエルとアラブの戦闘、イスラエル軍の発砲などで直接的に殺害されたパレスチナ人は10万人を超えると言われています。これらは過去の話ではなく、2008年以降で見ても、ガザ地区だけで約5000人のパレスチナ人が殺害されていました。さらに、直接な殺害でなくても、ガザ地区では食糧や安全な水、医療などへのアクセスがイスラエルによって制限されているので、間接的に生命を奪われた人々の数はそれ以上です。パレスチナ難民には、本来自分の故郷に帰る「難民帰還権」がありますが、イスラエルはこれを認めず、彼らから奪った土地や財産に対する補償もしていません。しかも、イスラエルによるこうした人権侵害は、処罰されるどころか、アメリカをはじめとする欧米の先進国によってバックアップされてきました。メディアは枕詞のように「憎しみの連鎖」「暴力の応酬」という表現を使用しますが、パレスチナ・イスラエルにおける暴力の根本原因は、上記のようにイスラエルがパレスチナの人々の社会を破壊し、パレスチナ人全体に対して深刻な人権侵害を75年以上に渡り恒常的に行っていること、そしてそれらが処罰もされず容認されていることにあります。「暴力を用いている点ではイスラエルもパレスチナも同じ」という人もいますが、このような意見には、①イスラエルは占領者であり、パレスチナ人は被占領者であるという不均衡な権力関係②イスラエルとパレスチナの非対称な被害状況③イスラエルは圧倒的な軍事力による抑圧などの、構造的な力関係をとらえる視点が抜け落ちています。①について、占領者が被占領者に対して行う暴力は、国際法違反です。にもかかわらず、イスラエルは占領した土地のパレスチナ人に対し、彼らの土地や資源、生命、文化、尊厳を奪う暴力行為(殺人・強姦・追放・占領・入植・不当な逮捕拘禁・封鎖・社会的差別など)を行ってきました。 一方、こうした状況に対し、被占領者には抵抗する権利[※注1]があります。(ただし、民間人の殺害や人質を取るなどの行為は戦争犯罪であり、裁かれなければなりません。)②については、過去からのイスラエルとパレスチナの死傷者数を比較すれば、ほぼイスラエルによる一方的な暴力であることがわかります。 ・ パレスチナ人・イスラエル人の年別死者・負傷者の推移グラフ(2008年〜2020年)%3Ca%20href%3D%22https%3A%2F%2Fwww.statista.com%2Fchart%2F16516%2Fisraeli-palestinian-casualties-by-in-gaza-and-the-west-bank%2F%22%20title%3D%22Infographic%3A%20The%20Human%20Cost%20Of%20The%20Israeli-Palestinian%20Conflict%20%7C%20Statista%22%3E%3Cimg%20src%3D%22https%3A%2F%2Fcdn.statcdn.com%2FInfographic%2Fimages%2Fnormal%2F16516.jpeg%22%20alt%3D%22Infographic%3A%20The%20Human%20Cost%20Of%20The%20Israeli-Palestinian%20Conflict%20%7C%20Statista%22%20width%3D%22100%25%22%20height%3D%22auto%22%20style%3D%22width%3A%20100%25%3B%20height%3A%20auto%20!important%3B%20max-width%3A960px%3B-ms-interpolation-mode%3A%20bicubic%3B%22%2F%3E%3C%2Fa%3E%20You%20will%20find%20more%20infographics%20at%20%3Ca%20href%3D%22https%3A%2F%2Fwww.statista.com%2Fchartoftheday%2F%22%3EStatista%3C%2Fa%3E大きなグラフの左側がパレスチナ側の被害なので、どれだけ偏りがあるか見ておわかりになるでしょう。もう少し内訳を見てみましょう。国連OCHA(人道問題調整事務所)によれば、2008年〜2023年10月6日までの「占領と衝突(occupation and conflict)」の影響によるパレスチナ人の死者・負傷者数は、それぞれ6,417名/158,632名(うち、子どもは1,438名/少なくとも3万人)でした。 一方イスラエル側の死者・負傷者はそれぞれ310名/6,361名(うち、子どもは43名/少なくとも500名)でした。なお、死者のうち132名は兵士で、91名が入植者。負傷者のうち1,580名が兵士で、1,160名が入植者でした。参照元:Data on casualtiesなお、イスラエル兵や入植者がパレスチナ人を殺害したり暴行したりしても、ほとんど処罰されないことは、フランスのジャーナリスト・シルヴァン・シペル氏の「イスラエルvs.ユダヤ人――中東版「アパルトヘイト」とハイテク軍事産業 」(明石書店、2022年)などで指摘されています。③圧倒的な軍事力にもとづく抑圧イスラエルは国民皆兵制度をとっており、18才になると男性は3年、女性には2年の徴兵義務があります。その後、51才まで予備役(普段は一般人として生活し、有事の際などは軍隊に戻る役種)に編入されます。イスラエル軍の正規軍の兵力は約17万人で、予備役は46万人です。AFPの記事「【解説】イスラエルとハマスの軍事バランス」によれば、約1300両の戦車、345機の戦闘機ほか、多数の大口径火器やドローン、最新鋭の潜水艦も保有しています。公式な核保有国ではないものの、90の核弾頭を所有しているといわれています。 さらに、米国から年間38億ドル(約5700億円)の軍事援助を受けています。 「アイアンドーム(Iron Dome)」と呼ばれミサイル防衛システムをもち、90%以上の命中確率でロケット弾を迎撃できます。一方、ハマースの軍事部門であるカッサム旅団の戦闘員は1万5000人〜4万人と言われいます。 パレスチナは主権国家ではなく、正規軍ではないので数字などの詳細は不明です。 所有する兵器は、高橋(2024)によれば「カラシニコフ銃や手榴弾など旧式で小型なものがほとんど」です。イスラエルはこうした圧倒的な軍事力を背景に、ハマース幹部を軍事ドローンで暗殺したり、度重なるガザ地区への軍事攻撃を行ったり、平和的なデモへの発砲により参加者を殺害したり、入植地を拡大したり、不当な逮捕・拘禁(10.7以前の段階で、6,000人〜8,000人と言われる人々が政治犯として収容され、2023年前半だけでも570人の子どもたちが、投石などの微罪により拘禁されていました)を行っています。ハマース等の抵抗組織による「テロ」事件は批判されますが、圧倒的な軍事力によりパレスチナ人を攻撃し、日々恐怖により支配することは問題ないのでしょうか?どんな社会的・政治的問題も、根本的な原因を誤解したまま、解決の道筋を見出すことはできません。イスラエルからパレスチナに対する、構造的で、圧倒的な暴力による人権侵害が長期にわたり常態化しているという、パレスチナ・イスラエル問題における問題の本質を覆い隠してしまうこれらの表現は、問題解決を遠のかせる無責任なものではないでしょうか。参考文献・参照元・岡真理『ガザとは何か~パレスチナを知るための緊急講義』(大和書房、2023年、204p.) ・高橋和夫『なぜガザは戦場になるのか イスラエルとパレスチナ 攻防の裏側』(ワニブックス、2024年、253p.)・宮田律『ガザ紛争の正体 暴走するイスラエル極右思想と修正シオニズム』(平凡社、2024年、247p.) ・シルヴァン・シペル『イスラエルvs.ユダヤ人――中東版「アパルトヘイト」とハイテク軍事産業 』(明石書店、2022年、400p) ・澤畑剛『世界を動かすイスラエル(NHK出版、2020年、236p.)』[注1]抵抗権について:1974年の国連総会決議3314 は、「侵略行為の定義(Definition of Aggression)」が行われました。決議の第7条で、特に植民地体制、人種差別体制その他の形態の外国支配化の下にある人民が自決、自由及び独立の権利を実現させるために闘争する権利(the right to self-determination, freedom and independence[...] of people forcibly deprived of that right [...] particularly peoples under colonial and racist régimes or other forms of alien domination/ the right of these peoples to struggle to that end and to seek and receive support)を確認しています。(日本語訳はこちらをご覧ください)1982年の国連決議37/43(UN General Assembly Resolution 37/43)では、「武装闘争を含むあらゆる利用可能な手段による、独立、領土保全、国家の統一、植民地および外国の支配と占領からの解放を求める人民の闘争の正当性を再確認する(Reaffirms the legitimacy of the struggle of peoples for independence, territorial integrity, national unity and liberation from colonial and foreign domination and foreign occupation by all available means, including armed struggle)」としています。※国連総会決議は、加盟国政府に対して法的拘束力を持つものではない(=罰則等がない)ものの、国際社会における総意の確認や道徳的権威としての意味をもっています。「宗教問題」「ユダヤとイスラームの戦い」「2000年続く問題」ではない📍ポイント解説よく誤解されがちですが、いずれの表現・認識にも実態との齟齬があります。❌「宗教問題」→宗教ではなく、土地や資源を巡る問題です。❌「ユダヤとイスラーム」ではなく、「シオニスト」と呼ばれる人たちと、先住民であるパレスチナ人の闘いです。なおパレスチナ人にはムスリムもキリスト教徒もいます。 ❌「2000年前」ではなく、19世紀末に発生した問題です。これらの表現は事実を正しく反映していない上に、「宗教問題だから日本は関わるべきではない」「何千年も争っているから止められない」など、パレスチナにおける暴力を仕方がないものであるかのように見せかける点に問題があります。✅ステップアップ解説これらの表現は、いずれも実態に合わない上、パレスチナ・イスラエル問題は「古来から定着した解決不可能な問題」だという認識を与え、諦めるしかない、仕方がないことであるかのように思わせる無責任な表現です。「宗教問題」「宗教対立」といいますが、イスラエルとパレスチナの人々は宗教を巡って争っているわけではありません。実際、シオニストがパレスチナにユダヤ国家の建設を画策するまで、ムスリム、キリスト教徒、そして少数のユダヤ教徒の人々は、オスマン帝国が支配するパレスチナの地で、400年間に渡り平和的に共存していました。「ユダヤとイスラームの戦い」でもありません。対立をしている両者の間にあるのは、「ユダヤ」か「ムスリム」かという違いではなく、「シオニスト」か「パレスチナ人(先住民)」かという違いです。ユダヤ人=シオニストではなく、シオニズムに反対する多くのユダヤ人がいます。パレスチナ人=ムスリムでもなく、パレスチナ人の約一割は世界で最も長い歴史を持つキリスト教徒です。2000年も続いている争いでもありません。パレスチナにユダヤ人国家建設を求める「シオニズム」と呼ばれる思想・運動が始まったのが約130年前、実際に多くのパレスチナ人が追放されたナクバ(アラビア語で「大災厄」を意味)が76年前と、近現代の出来事です。🔍深堀り第一に、パレスチナ・イスラエル問題は、「宗教問題」または「宗教対立」ではなく、土地や資源を巡る世俗的な争いです。宗教問題と聞くと、パレスチナの地では異教徒同士の争いが絶えなかったようにイメージされてしまいますが、歴史的を振り返るとそれは正しくありません。パレスチナを支配する政体は古代から何度も入れ替わってきましたが、16世紀以降は400年間にわたり、オスマン帝国が治めていました。オスマン帝国の統治下では、イスラム教徒、キリスト教徒、そして少数のユダヤ教徒が平和的に暮らしていました。 しかし、近代以降、ヨーロッパの列強がオスマン帝国の領土を狙うようになったことや、ヨーロッパでユダヤ人迫害が激化したことなどをきっかけに、パレスチナにおける平和は崩れました。ヨーロッパから争いの種が持ち込まれたのです。次に、「ユダヤとイスラームの戦い」でもありません。 よく誤解されますが、「ユダヤ人=シオニスト」ではありません。シオニストとは、シオニズム(パレスチナにユダヤ国家の建国・存続させるという思想)を信じる人々です。ユダヤ人の中にもシオニズムに反対する人々がいる一方、例えば一部のキリスト教福音派など、キリスト教徒の中にもシオニズムを支持する人々がいます。また、パレスチナ人=ムスリムというイメージが強いかもしれませんが、パレスチナ人には世界で最も長い歴史を持つキリスト教徒のコミュニティが存在し、人口の約一割を占めます。シオニストは、これらのキリスト教徒に対しても攻撃を行っています。最後に、「2000年続く問題」ではなく、19世紀末に発生した問題です。パレスチナ・イスラエル問題に至る、1948年までの経緯を以下のように簡略化してまとめます。時期近代以前ヨーロッパにおけるユダヤ人差別ヨーロッパのキリスト教社会において、ユダヤ教徒は長い間差別・迫害にあってきた。18世紀ごろ〜ユダヤ人差別が「信仰」から「人種」に変質18世紀ごろから、西洋で近代市民社会化が進むにつれ、ユダヤ教徒も市民としてキリスト教徒と対等な権利を与えられることが期待された。 しかし、実際には民族主義/ナショナリズムが広まり、ユダヤ教徒は「ユダヤ人」として、キリスト教徒のヨーロッパ人とは異なる人種であると見なされるようになり、差別は続いた。19世紀末シオニズムの誕生19世紀末、フランスで起こった「ドレフュス事件」やロシア・東欧で広がった「ポグロム」などが契機となり、ユダヤ人の国家を建設しようというで「シオニズム」という思想・運動が生まれ、一部のユダヤ人に支持されるようになった。なお、シオニズムは当時の西洋の植民地主義・帝国主義と強く結びついていた。つまり、ヨーロッパ人が非ヨーロッパ世界を侵略し、土地や資源を支配してよいという考えである。1920年代〜40年代アメリカの移民規制とナチスのユダヤ人迫害当初、シオニズムはユダヤ人の間で人気がなかったが、当時ユダヤ人の主な移住先であったアメリカで1920年代から移民が規制されたことや、1930年代にナチスの台頭によるユダヤ人迫害が激化した結果、第二次世界大戦後、欧米に居場所のない多数のユダヤ人難民が発生した。1940年代後半〜国際社会がシオニズムの実現を後押しシオニズムが第二世界大戦の勝者である連合国は、この難民問題をシオニズムを利用する、つまりユダヤ人を欧米で受け入れるのではなく、パレスチナに押し付けることで”解決”しようとした。1947年〜一方的なパレスチナ分割案1947年、「パレスチナを分割し、ユダヤ人の国家を創る」という分割案が欧米を中心とする国際連合で採択された。当事者である先住民の反対は無視された。1948年〜(特に1967年〜)拡大を続けるイスラエル1948年、イスラエルが建国されると、70万人以上の先住民が故郷を追われ、難民となった。その後もイスラエルはパレスチナにおける支配地域を拡大しつづけ、パレスチナ人に対する抑圧を続けている。このように経緯をたどると、パレスチナにおいて現在発生している暴力の根源には、ヨーロッパのキリスト教社会の中で温存され、19世紀〜20世紀前半に頂点に達したユダヤ人差別・迫害があり、その”ツケ”を、迫害とは無関係なパレスチナ人に払わせることで”解決”しようとした、欧米を中心とする国際社会の不寛容なナショナリズム・人種差別と、自己中心的な植民地主義にあると考えられます。日本社会においても、ナショナリズム・人種差別・植民地主義は、加害者側としても被害者側としても大きな影響を受けてきた問題です。 同時に、第二次世界対戦後、欧米の先進国、特にイスラエルの最大の支援国であるアメリカと歩調を合わせて国際社会の一角をなしてきた日本にとって、パレスチナ・イスラエル問題は「関係ない」どころか、その温存に加担してきてしまった問題なのです。主な参考文献・岡真理『ガザとは何か~パレスチナを知るための緊急講義』(大和書房、2023年、P.43-45、48-50、50-52)・高橋和夫『なぜガザは戦場になるのか - イスラエルとパレスチナ 攻防の裏側』 (ワニブックス、2024年、P.66-67、73) ・高橋和夫『なるほどそうだったのか!ハマスとガザ戦争』(幻冬舎、2024年、260p.) ・ヤコヴ・M.ラブキン (著), 菅野 賢治 (編)『イスラエルとは何か』(平凡社、2012年、P.13-16)ユダヤ人とムスリムは仲が悪いの?📍ポイント説明歴史的に見れば、ユダヤ教徒とムスリムは基本的に平和的に共存してきました。しかし、この平和な関係性は、民族主義(ナショナリズム)という考え方が近代になって台頭したために崩壊しました。信仰の違いではなく、ヨーロッパから政治的な争いが持ち込まれたことが原因です。✅しっかり説明イスラームの統治下において、ユダヤ教徒は同じ「啓典の民」として保護の対象でした。 オスマン帝国統治下のパレスチナには、少数派ながらユダヤ教徒がムスリムとともに400年間平和的に共存してきたのです。現在のイスラエルとアラブ諸国の緊張関係は、宗教上の対立ではなく、民族主義(ナショナリズム)の台頭により19世紀末以降から始まりました。🔍深堀りイスラームというと、排他的で他の宗教に対して不寛容、というイメージを持つ人も多いかもしれません。しかしムスリム統治下においては、長い間、ムスリムも異教徒も共存してきたのです。ムスリム統治下における異教徒の扱いは時代によって変化していますが、そもそも、イスラム教において、ユダヤ教とキリスト教は、同じ一神教の系譜の中でイスラームに先行する教えととして位置づけられ、信徒は「啓典の民」として、定められた税を納めれば、被保護民(ズィンミーと呼ばれます)として信仰の自由が保障されました。例えば、1492年に、イベリア半島(現在のスペイン、ポルトガル)からユダヤ教徒を追放する勅令(王の命令)が出された際、多くのユダヤ教徒は、イスラームの統治下にあった北アフリカやオスマン帝国領に移住してきました。絹などの織物技術や、貿易のための交渉能力などに優れていたため、歓迎されたのです。(なお、これらのスペインから追放されたユダヤ教徒は「スファラディーム」と呼ばれます。)もっと最近の出来事としては、第二次世界大戦中のボスニアでは、新ナチス・ドイツの政権により強制収容所に送られそうになったユダヤ人をムスリムたちが匿い、命を助けました。 なお、19世紀末ごろには、パレスチナには小さなユダヤ人コミュニティが存在しておりよく、エルサレムには三大一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の聖地があるから争いが生じると言われます。カトリックのキリスト教国が11世紀末〜13世紀末にかけて「エルサレム奪還」という名目で十字軍の軍事遠征を行ったことを思い出す方も多いでしょう。実際、エルサレムを占領した十字軍は、ムスリムとユダヤ教徒を虐殺し、エルサレムから追放しました。しかし、12世紀末にサラディンがエルサレムを奪還すると、キリスト教徒もユダヤ教徒も寛容に扱われ、以降19世紀にオスマン帝国の支配がゆらぐまで、エルサレムは三大一神教の共存の地となっていたのです。このように、ユダヤ教徒とムスリムは、基本的に平和に共存し、特にユダヤ教徒がヨーロッパキリスト教社会で迫害されると、イスラーム世界がユダヤ教徒の移住先となってきたという歴史があります。 今でこそ、「アラブ人」、つまりアラビア語を話す人々は、当然ムスリムであるかのように思われがちですが、アラブ世界にはアラビア語を話すユダヤ教徒たちも共に住んでいたのです。しかし、1948年のイスラエル建国以降、これらのアラブ世界に元々住んでいたユダヤ教徒はイスラエルに移住してしまったため、一部の地域を除き、アラブ世界にあったユダヤ教徒のコミュニティーはほぼ消滅してしまいました。ユダヤ教徒とムスリムの共存関係が崩れてしまったのです。現在、イスラエルとアラブ諸国の間にある緊張関係は、決して宗教に基づく本質的なものではなく、近代になってヨーロッパから持ち込まれた民族主義(ナショナリズム)によるものといえます。主な参考文献・臼杵陽『世界史の中のパレスチナ問題』(講談社、2013年、P.37-38、P.86-87、P.41)・宮田律「ガザ紛争の正体: 暴走するイスラエル極右思想と修正シオニズム」(平凡社、2024年、P.13、P.126、P.128、P.132)以上