シオニズムとは何か📍ポイント解説「シオニズム(Zionism)とは、19世紀末ごろから起こった、パレスチナにユダヤ国家を建設するという政治的な思想・運動です。よく、「ユダヤ人は2000年間、自分たちの国をつくりたいと願っていた」のように説明されることがありますが、実際にはユダヤ国家建設の運動は130年ほどの歴史しかありません。✅ステップアップ解説ユダヤ教徒は、ヨーロッパのキリスト教社会の中で差別・迫害されてきました。ヨーロッパ社会が近代化し、信仰によらず個々人は市民として平等であるという考え方が広がる中、ユダヤ教徒もキリスト教徒と同じ市民としての権利が保障されることが期待されましたが、それは実現されませんでした。 近代化の過程で「民族主義」が広がり、ユダヤ教徒はキリスト教徒とは異なる「ユダヤ人」という民族であるとして、当時形成されつつあった民族単位の国民国家から排除されてしまったのです。この時代は、ヨーロッパの国々が非ヨーロッパ地域に進出し、土地や資源を奪う植民地主義・帝国主義の時代でもありました。ヨーロッパ社会から排除されたユダヤ人の一部に、ヨーロッパの植民地主義に便乗して、非ヨーロッパ地域の土地を先住民から無理やり奪い、自分たちが差別されないユダヤ人だけの国をつくろうとした政治思想・運動が「シオニズム」です。多くのユダヤ人は、シオニズムがヨーロッパにおけるユダヤ人の政治的権利をさらに危うくすると考え、あるいは、パレスチナへの集団的帰還を禁じる伝統的ユダヤ教の教えに反するとして、この運動に強く反対しました。ユダヤ人差別から脱却できなかったヨーロッパ社会にとっても、ユダヤ人が非ヨーロッパ地域に出ていってくれることは都合がよかったので、イスラエル建国〜現在まで、ヨーロッパ社会はシオニズムを後押ししてきました。🔍徹底解説シオニズムとは、19世紀末ごろから起こった、パレスチナにユダヤ人の国家を建設するという政治的な思想・運動です。聖地エルサレムを指す「シオン」に、思想・運動を表す「イズム」が組み合わされた言葉です。[※注1]シオニズムは何故始まり、シオニストによるパレスチナへの移住(入植)が行われるようになっていったのでしょうか? それを理解するにはいくつか時代背景を知る必要がありますが、ここでは以下の3つを取り上げます。①民族主義(Nationalism)民族主義とは、簡単にいえば、人類は民族(nation)という単位に分けることができ、各民族がそれぞれの国家(国民国家:nation state)を持ち、国民は国家の発展に貢献すべきという考え方です。 こうした民族主義は、18世紀後半のフランス革命を契機に始まり、徐々にフランス以外のヨーロッパ、19世紀後半ごろには非ヨーロッパ世界にも広がっていくようになりました。人々が、村や教区などの単位を超えて、「フランス人」「ドイツ人」といった帰属意識をもつようになったのです。この過程で、ヨーロッパ社会においてマイノリティであり迫害の対象であったユダヤ教徒は、「ユダヤ人」という民族・人種だとみなされるようになりました。フランスに住むキリスト教徒は「フランス人」、ドイツのキリスト教徒は「ドイツ人」なのに、フランスでもドイツでもユダヤ教徒は「ユダヤ人」とされ、排除されたのです。[※注2]このような、ヨーロッパの国民国家からのユダヤ人の排除が露骨に表れた象徴的な事件に、「ドレフュス事件」(1894年)があります。簡単にいえば、ユダヤ教徒であるフランス陸軍大尉ドレフュスがスパイ容疑で冤罪逮捕されたのです。軍人として命をかけて国家のために尽くしてもユダヤ人として差別される。この事件は、実際に住んでいる国や社会に同化していけばユダヤ人差別がなくなるだろうと考えていたユダヤ人(特に、非宗教的な知識層)に衝撃を与えました。 「シオニズムの父」と呼ばれるハンガリー出身のジャーナリスト、テオドール・ヘルツルはドレフュス事件の取材にあたったのち、1896年に「ユダヤ人国家」という著書を発表。これがシオニズムの先駆けとなり、1897年にはスイスにおいて最初のシオニスト会議が開かれました。「民族主義」が広がる中で、”仲間はずれ”にされたユダヤ人たちの一部に、新たなユダヤ・ナショナリズムが生まれ、自分たちの国家を求めるようになったのです。②ポグロムポグロム(погром)とは、主にロシア帝国下で行われたユダヤ人に対する暴力的な迫害のことです。ポグロムは19世紀に激しさを増し、1881年にロシア皇帝暗殺事件が起こると、ユダヤ人が暗殺の犯人であるというデマが流れ、苛烈な反ユダヤの暴動・虐殺がロシア中に広がりました。実は、20世紀初頭には、ユダヤ人の人口の多くはロシア・東欧に住んでいました。地域別に見ると、ロシア帝国領(ポーランドの多くを含む)に住んでいたのが520万人、オーストリア・ハンガリー帝国に207万人、ドイツに52万人であり、アメリカには100万人程度という状況でした。参考記事:シオニズムとは何か――イスラエルの孤立化と軍事信仰の起源/鶴見太郎 - SYNODOSポグロムやロシア革命の過程で、ロシアに住んでいたユダヤ人はロシア社会に同化する希望を打ち砕かれました。ユダヤ人に対する激しい暴力の嵐が吹き荒れる中、武力で自分たちを守り、非ユダヤ系の住民に対する軍事攻撃を行うという、現在のイスラエルに通じる行動様式をもつようになったロシア・東欧出身のシオニストたちが、シオニズム運動の中核となっていったのです。(初代イスラエル首相ダヴィド・ベングリオンと大統領ハイム・ワイツマンも、いずれもロシア帝国出身者でした。)③植民地主義/帝国主義シオニズムには「土地なき民に 民なき土地を」というスローガンがあります。土地なき民=ユダヤ人、民なき土地=パレスチナを指します。しかし、パレスチナは無人の土地ではありませんでした。すでに住んでいる先住のアラブ人(パレスチナ人)が暮らしを営んでいたのです。当時の世界は、欧米列強(のちに日本も)が、非ヨーロッパ世界を侵略し、植民地化して勢力範囲を広げるという植民地主義・帝国主義の時代でした。ヨーロッパ人が、軍事力を背景に非ヨーロッパ人の土地や資源、そして生命をも支配してよいという考え方が主流だったのです。ヨーロッパ社会においては差別・迫害の対象であったユダヤ人のシオニストたちも、この考え方を踏襲しました。やや単純化してしまえば、シオニズムは、ヨーロッパ社会におけるユダヤ人に対する迫害・苛烈な暴力を、他者(パレスチナ人)に対する暴力によって解決しようとする植民地主義的な考え方であり、より根本的にはヨーロッパ人以外の人権を軽視する、人種差別的な考え方です。 イスラエルによるパレスチナ人に対する暴力への抗議は、しばしば「反ユダヤ主義 (Anti-Semitism)」、つまり差別であると批判されますが、シオニズムこそ、人種差別を基盤とする植民地主義の思想なのです。[注1]当初、ユダヤ人国家の建設地としては必ずしも聖地エルサレムがあるパレスチナにこだわっておらず、南アメリカのアルゼンチンや、アフリカのウガンダも候補地になっていました。[注2]日本語ではユダヤ教徒とユダヤ人を分けて表記可能ですが、英語ではどちらもJewと表記されます。主な参考文献・臼杵陽『イスラエル』(岩波書店、2009年、p256.)・岡真理『ガザとは何か~パレスチナを知るための緊急講義』(大和書房、2023年、P.45-47) ・高橋和夫『なぜガザは戦場になるのか - イスラエルとパレスチナ 攻防の裏側』 (ワニブックス、2024年、P.68-70、P.71-73) ・ヤコヴ・M.ラブキン (著), 菅野 賢治 (編)『イスラエルとは何か』(平凡社、2012年、P.15-17、P.15−17、P.26-30) ユダヤ人はディアスポラ以降2000年間、自分たちの国を再建したいと考えていた?📍ポイント解説しばしば、「ユダヤ人はディアスポラ以降、2000年も自分たちの国を再建したいと願ってきた」というような表現がされますが、これは誤りです。ユダヤ国家の建設運動は、シオニズムが興った19世紀末以降、130年程度の歴史しかありません。✅ステップアップ解説ユダヤ教には、ユダヤ教徒として神の教えに従い正しく生きていれば、いつか神はメシアを遣わして自分たちをパレスチナに帰してくれる(救済してくれる)という教えがありますが、これは人為的にユダヤ人の国を建設するということではありません。ユダヤ教の「口伝律法」(タルムード)においても、イスラエルの地に組織的な機関を行わないという誓いが伝えられています。実際、19世紀末にシオニズムが唱えられるようになってからも、パレスチナに移住しようというユダヤ人は少数派でした。パレスチナへの移民が増えたのは、アメリカが1924年から移民を制限し、1930年代になるとナチス・ドイツによるユダヤ人迫害が激化したという、現代の政治的な要因によるものでした。🔍徹底解説敬虔なユダヤ教徒であり、カナダのモントリオール大学教授のラヴキン氏は、著書『トーラーの名において』で、シオニズムの考え方が伝統的なユダヤ教の教えとは相容れないことを説明してます。 「ユダヤ教の伝統において、<イスラエルの地>の獲得は、軍事力や外交活動の成果としてではなく、人間の善行が普遍的な水準で効果を発揮した結果、メシア主義的計画の一環としてなされるべきものである。」(P.133)「タルムード(ユダヤ教に伝わる口頭立法)は、イスラエルの民の残党が世界の司法に離散する前日に交わしたという三つの誓いを今に伝えている。いわく、民としての自律を獲得しないこと、たとえほかの諸々の民の許可が得られても<イスラエルの地>に大挙して組織的な帰還を行わないこと、そして、諸々の民に盾を突かないこと。」(P.139)つまり、本来のユダヤ教の教えにおいて、イスラエルの地への帰還は、政治力や軍事力によって人為的・世俗的に実現されるべきものではなく、神による「救済」として実現されるものだと考えられてきました。 実際に、シオニズム運動が始まったあとも、パレスチナに移住しようというユダヤ人はむしろ少数派でした。1880年から1924年まで、パレスチナへのユダヤ人移住者が15万人に対して、アメリカに移住したユダヤ人は200万人を超えていました。パレスチナへの移住が増加したのは、1924年からアメリカが移民を制限したことや、1930年代にドイツでナチスが台頭しユダヤ人迫害が激化したこと、シオニズムを使って欧米諸国がユダヤ人難民問題を「解決」しようとしたことなど、政治的な背景によるものです。シオニストは、イスラエル建国や自分たちがパレスチナ人の土地を奪うことを、ユダヤ教で正当化しようとしますが、その主張はユダヤ教の本来の教えと矛盾するものであり、パレスチナへのユダヤ人移住の経緯をたどれば、当時のユダヤ人の多くがシオニズムに賛同していなかったことがわかります。現在でも、「Jewish Voice for Peace(平和のためのユダヤ人の)」などのユダヤ人団体がシオニズムに反対しており、それはユダヤ教の教えにもとづくものであることを強調しています。We organize our people and we resist Zionism because we love Jews, Jewishness, and Judaism. Our struggle against Zionism is not only an act of solidarity with Palestinians, but also a concrete commitment to creating the Jewish futures we all deserve. ー 私たちが組織を作りシオニズムに抵抗するのは、ユダヤ人、ユダヤ人らしさ、そしてユダヤ教を愛しているからである。シオニズムに反対する私たちの闘いは、パレスチナ人との連帯行為であるだけでなく、私たち全員にふさわしいユダヤ人の未来を創造するための堅いコミットメントでもあるのです。(JVP’s Core Valuesより)ユダヤ教は古来から続く宗教ですが、ユダヤ教=シオニズムではなく、ユダヤ人=シオニストでもないのです。主な参考書籍・ ヤコブ・M・ラブキン (著), 菅野 賢治 (訳)『トーラーの名において』(平凡社、2010年、P.133、P.139、P.144、P.146) ・高橋真樹『ぼくの村は壁で囲まれた―パレスチナに生きる子どもたち』(現代書館、2017年、200p.)以上